2013年6月9日日曜日

「日刊スゴい人」関連エピソード

昨日の「日刊スゴい人」で、初めて公にした話が「独立後半年間夜中バイトしてた」ってことです。
当時は恥ずかしいのであんまり周りに話した事もなかったんですが、今になってみれば、すごくいい経験だったので、話しました。そこで、少しだけそれにまつわるおれにとってすごく大事なエピソードをここで。

ある程度は、昨日の日刊スゴい人を見てもらえれば分かりますが、色々な想いで4年前に前社をやめて独立した訳ですが、ある程度の実績と、経験を積ませてもらい、自分としては「何とかなる、絶対上手くいく」と思ってました。それがなかなか、そこには厳しい現実がありました。 僕がさせてもらった経験や実績は自分にとって大きな財産でしたが、それは自分だけで築いたものでもなく、ましてや何も知らない方々にとっては特別なものではなかったのです。

HPつくって、資料とサンプルつくって、ある程度仕事をいただけそうな会社さんへ営業すれば、どこかしら商品を扱ってくれると楽観的に思ってました。 でも、それは甘かった。何のコネもツテもない状態で、見ず知らずの訳分かんない絵描いてるふけ顔の怪しい坊主野郎に、仕事をくれるはずもなく。 少しだけ、以前のリピーターさんからの仕事はあったものの、2ヶ月である程度の資金と気力は失われていきました。親にも迷惑をかけました。

そんなとき、追い討ちをかけるように、東京で行われたカリカチュアのミニコン(100名程度の小規模の大会)では初めて「賞を取れない」という厳しすぎる現実。後輩や数々のライバルたちに追い抜かれ、自分のプライドや自信はズタズタになりました。平静を繕うのに必死になっていたのを覚えています。周りからの慰めの言葉をいただく自分と、後輩を称えるだけの自分が、情けなく、哀れすぎて、もういてもたってもいられずに、そっと表彰式の会場を後にするしかありませんでした。 浅草の会場ホテルの近くの誰もいない公園でやけ酒を食らいながら、一人大泣きしました。 「おれは間違った選択をしたのかな?」と、自分を疑いました。

独立後2ヶ月間、失うばかりの毎日。「もう終わるのか?」そんな時に一通の手紙が届きました。 師匠からでした。
泣くしかありませんでした。
でも、この手紙で僕は救われました。
正直、これがなければ俺はカリカチュア辞めていたかも知れません。
本当にありがたく、そして大きな前向きの力をいただきました。師匠には本当に感謝しています。恥ずかしいので、本人に言った事ないですが、この時の手紙は俺の宝物です。(文面出しちゃってすみません)

それから、気持ちを切り替えることが出来た自分は、すぐに夜中のバイトを探し始めました。すべてのプライドを捨て、とにかくアーティストとして生きるために、自分が出来る最大限の努力をしようと決めました。バイトでも何でもやって、アーティストとして食いつなぐために、そして、その先にある大きな成功のために。

でも、なかなか深夜のバイトで、あまり自分が表に出なくて済むようなバイトがない中、ようやく見つけたのが「新宿歌舞伎町のラブホの清掃員」でした。家が中野だったし、金銭面の条件もよく飯も出るし、自分が表に出なくてもいいし、ひげもオッケーだし、なにより支配人が自分の現状を聞いてくださり、バイト以外に絵の発注もたくさんしてくれたんです。これも本当にありがたかった。

それに、周りのバイトには、韓国の学生たちばかりで最初は溶け込めるか不安でしたが、彼らと話をしてみると、皆日本で学んだ事を韓国に持ち帰ってこういう事をやるんだ、ああいう事をやるんだ、と毎日夢を語ってくれました。自分もそんな彼らに負けずに、「カリカチュアリストとしてまずは世界一になる!」と、自分の夢も語りました。そのホテルでの僕のあだ名は「ピカソ」でした笑。

昼間は営業に出かけたり絵を描いて、夕方仮眠をとって、その後夜10時から朝の5時まで働いて、また少し寝て10時から絵の仕事に向かう、という毎日 を繰り返し、本当はキツいはずなのに、素晴らしい支配人とハングリーでナイスガイな韓国学生達のおかげで、キツいけど楽しくバイトさせてもらったのを覚えてます。あいつら、本当にハングリーだったんで、今頃韓国で成功しはじめてるんじゃないかな。

そのラブホで働いてた時に支給されて着ていたTシャツが写真のです。今となっては、あの頃のハングリーさと、悔しさ、苦しさ、感謝を忘れないために、毎日パジャマとして着ています。これも俺の勲章的な宝物です。

そんな毎日を約半年間過ごした頃、自分が独立後厳しい状態で頑張ってる、ってことで、自分の友人や家族が大きな取引先になる方々を紹介してくれて、すこしずつバイトを減らす事ができ、独立後7ヶ月目にはバイトをしなくて済む程度まで、お客様を獲得できるところまで来れたのです。
あと、その頃、4人でシェアハウスしてた事も大きかったです。あの状況で一人でいたら、気持ちがもたなかったでしょう。仲間が頑張って仕事してるのを見たら、負ける訳にはいきませんからね。たまに飲みに行ってばか騒ぎしたり、愚痴もこぼせたし。助かりました。

ここまでくるまでに、親や師匠、友人、バイト先の方々を始め、本当に多くの方に支えていただき、前に進むパワーをもらいました。自分という人間にも、こんなに支えてくれる方がいたんだ、ってことと、そのありがたさを身にしみて感じさせてくれた出来事ばかりでした。
この独立してすぐの半年間ほどは、自分の人生でも大きなターニングポイントだっし、キツかったし、でも楽しかったしで、本当に大きな事を学んだ時期でした。 ようやくその頃の目標をクリアした今からが、次のステージの戦いです。まだまだ自分やうちの会社は成長過程です。改善点ややらなきゃいけない事ばっかりです。でも、あの苦しかった時期を思い出せば、どんな事も越えて行ける自信があります。

ガンガンやるっきゃないです。